男の痰壺

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あのこは貴族

★★★★ 2021年2月27日(土) テアトル梅田2

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「あの子は貴族」という物言いの裏には当然に「私は平民」という立場の思いが隠れているわけだが、映画はそういった格差について切り込もうという意図はない。どっちに属して生きたって楽しいこともしんどいことも其々あるっしょ、ということみたい。

富裕層に属する女性と中流層の女性のドラマは並行して語られ互いに侵食しない。

 

とはいっても、中盤以降に1人の男を介して2人の女性はシンクロしていくのだが、びっくりするくらいドラマは低温だ。富裕層女の結婚相手は平民女の付き合っている男であった。付き合ってるといってもまあセフレ以上彼女未満な感じで、そこは住む世界の違いを弁えた大人の付き合いであります。

でも、結婚した彼女からすれば、黙っているわけにはいかず対面するわけだが。

往年の京マチ子VS若尾文子とかだったら、情念バチバチの対決となりそうだが、麦VS希子はサラッとしてます。

 

で、結局ドラマはあてがわれた生き方しかしてこなかった富裕層の麦が、自分の生き方を探し始めるところで終わる。

ありきたりな展開であります。

 

なんだか否定的な書き方になってしまったが、良い映画だと思いました。こんなありきたりな展開でいいのか、といった迷いは一切ない。私ならこう思いこういう行動をとる。そういった自分に対する誤魔化しのない真摯さが漲っていると思いました。

 

主演2人のキャスティングは半歩ずらしてるように見えて映画内では絶妙に収まっているのだが、それぞれの友人役に当てられた石橋静河山下リオもいい。主演2人の両先端で揺らぐ存在を引き戻す好助演だと思いました。

 

格差に言及せず何処に身を置いても其々の世界で前向いて生きていくしかないというフェミニズムの正しい在り様。女の情念の相剋がドラマを起動した時代は過ぎ去り低温世界で彼女たちは道を模索する。その極の生き方を繋ぐアンカー静河・リオも又要件。(cinemascape)

 

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