男の痰壺

映画の感想中心です

ブーたれ小僧

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ほんまにさ、連日連夜のアベ批判や政権批判やイシン批判を飽きもせず繰り返している学者や文化人や芸能人とかって、そのエネルギーをこの先いったい誰に託したらいいのかを考えてそっち方面に注ぎ込んだ方がいいって思わないんでしょうか。

思わないんでしょうね。なぜなら、彼らは現況が変わってほしいなんてサラサラ思ってないし、ただ困ってる層から「ウケルー」言われて悦に入ってるだけなんだもん。

であるから、アベなりジミンを下ろして誰に・どこに託せばいいかを問われると口籠ってしまう。これを古来より世間は無責任という一言で断じてきたわけで、政権支持率が下がらないのは世間がバカなわけじゃなく、無責任な批判の空論に与しない正しい平衡感覚のあらわれです。

 

熱狂をもって迎えられた2009年の民主党政権誕生が僅か3年で瓦解したとき、落胆と失望のなかで人々は気付いたはずだ。わかりやす過ぎるハトヤマの暴走とかが瓦解の主因でなく、彼らには徹底的に政治のリアリズムが欠けていたことに。主義主張を打つのは誰にでも出来るが、官僚や組織を使いこなして遂行し得る能力が未だなかったのだと。であるから、敗残兵の寄せ集めにすぎないリッケンなどの名があがるたびに俺は心底ウンザリしてしまう。

 

最近、2003年に書いた日記を読み返していて、すっかり忘れてたことを思い出したんですが、当時、大阪って財政再建団体ギリまでいってたわけで、実際に破綻した夕張を横目で見ながらヤバいんちゃうかの思いが政権交代を交代させたんだと思う。

 

アベがダメなら、こいつにやらせようの代替受け皿がない。そのことは誰が悪いとかでなく我々自身が問われるべき問題なんちゃうやろか。