男の痰壺

映画の感想中心です

箱男

★★★ 2024年8月27日(火) 大阪ステーションシティシネマ

安倍公房の作品は中高生の頃それなりに読んだけど本作は未読です。石井聰亙(岳龍)が90年代にこれを撮ると何かで読んだとき、イメージのギャップに戸惑い、でもそれだけに期待したが結局企画はポシャってしまった。今回、30年近い時を経てモノになったわけだけど。

昭和の頃、都市の路地裏には普通にいたホームレス。彼らはダンボールを敷き・囲い簡易的な居住空間を作っていたわけで、箱男はそこからインスパイアされたものだろう。モノローグで、人から蔑まれ嫌悪の視線を受ける代わりに逆にこちらも彼奴らを蔑んでやる。そしてそれを克明に記録するのだ、みたいなのがあるが、極めて公房的であると同時に 石井聰亙的なルサンチマンアナーキズムに富んだモチーフである。なるほどこれがやりたかったのかと思った。「狂い咲きサンダーロード」に通底する何かが冒頭からの10数分には感じられた。

 

映画化の許可をもらいに行ったとき、石井は公房から言われたそうだ。「娯楽アクションにして下さい。」であるから、先述のモヤモヤしたルサンチマンアナーキズム箱男の巧まざる道化性と奇天烈なワッペン乞食やスナイパー(?)との追跡・逃走を通じて稀に見るキッチュで夢幻的な混沌を体するに至る。ふと「地下鉄のザジ」が頭をかすめる。もしかしたらとんでもない傑作かもと。

 

しかし、佐藤浩市の元軍医と浅野忠信のニセ医者と白本彩奈の看護師が異様な共同体を形成する医院に舞台が移ってから展開は停滞してしまう。何故ならこのシークェンスで謳われるのは偽物と本物の同一化或いは異化というテーゼが箱男になりたいという偽医者の思いに連結していくということであり、この高踏的な論理の飛躍を石井なりの解釈で血肉化し得たとは到底思えないのだ。正直眠かった。ルサンチマンアナーキズムは何処行った?である。

 

近年闊達な台詞回しを獲得した浅野の食えなさ、チョイ悪不良中年の殻を破る佐藤の気持ち悪さ、ノーブルな白本の想外な包容力など、変態ワールドを形成する駒は揃っていた。なら原作の頸木を切り離して石井独自の世界を展開しても良かったのでは、と思う。

 

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