男の痰壺

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ローサは密告された

★★★★★ 217年8月22日(火) テアトル梅田2
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物凄いカオスだ。
こんなんじゃ、ドゥテルテが麻薬関係者を片っ端から何千人殺そうが本質は改善しないだろう。
それを産み出す土壌を改良しないと上物だけ取り繕っても無駄なのだから。
 
それでも、人は生きるしかないのだし、その為にやれることはやろうとする。
スーパーで買った大量の飴玉を瓶に詰めてばら売り売るような商売で1家6人暮らしていけるわけない。
だから、やれることはやろうとするし、結果、ちょっとだけ生活も景気がいい。
 
でも、一寸先は闇だし、それがわかっていて肚くくってるが、そうなってみて足掻く。
もう、売人は一瞬の判断であっさり売るし、子供たちには資金繰りに奔走させる。
この部分が泣ける。
数年前に「ぼくたちの家族」って映画があって、あれも難病の母のセカンドドクター探しに子供が奔走する話だったが、俺はこういうのに弱いんです。
 
ドキュメンタルな状況を捉える長回しが冴える。
パンをしたとき、わざとピントを合わせない手法はここ10年の流行りだが、本作の場合、それが長回しのリスムと同期して緩やかなピン送りが状況を深化させる。
闇と露光の計算もナイスと言うしかない。
 
何とか押しの一手の強力交渉で難事を切り抜けた彼女が汗だくになって夜店の団子を食う。
道路の対岸につつましやかな屋台売りの夫婦。
そのときの彼女の表情は万感の思いを見るものに喚起させる。
詠嘆の深さは、本年では「ありがとう、トニ・エルドマン」のラストと双璧。
 
貧困と犯罪と堕落のカオスの中でも人は足掻いて生きるしかない。だが、腹括ってみても一寸先は闇なのだ。それでも映画は一縷の希望を提示する。露光計算の行き届いた闇と状況を深化させる長回し&ピン送り。難事を切り抜けた彼女の目に映る過ぎし追憶は万感。(cinemascape)