男の痰壺

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★★★★ 2019年4月29日(月) テアトル梅田1
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前作「さらば、愛の言葉よ」のタイトルの意味を今更に感慨をもって考えた。
ゴダールといえば政治に走って尖がってみせたりもしたが、根のところでは「愛」ってのが好きなおっさんなのだ。
それに決別しようという意思だったのだろうか。
まあ、歳も歳やし、愛なんてもうどうでもいいのか。
 
これは、世界に蔓延する虐殺やテロリズムについての映画。
しかし、まあ、ゴダールは専門的にそういう分野を知悉しているわけではないので歴史の上での多くの唾棄すべき言葉の数々をコラージュする。
もう、これでもかってくらいの人非人の言葉のオンパレードだ。
 
まがりなりにも、外に出てカメラを回した前作に対して、これはおそらく全てを編集ルームだけで仕上げている。
もう、膨大な情報量の洪水であり、映画・絵画・音楽・書籍からの断片の嵐。
それを、増感してコマ伸ばししてモンタージュすることで意味を提示しえたかっていうと疑問なのだが。
それでも、俺は一瞬たりとも目を離せなかった。
4年もかけた、その物量の集積に素直に打たれた。
 
それにしても、アルドリッチニコラス・レイや溝口の映画はゴダールの志向からしてわかるのだが、「ジョーズ」ってシャレか?
 
愛への訣別と今の世界に対する怒りは多くのおぞましい言説のコラージュによって表明される。直截的でゴダールらしくなく珍しく真摯。増感されコマ伸ばしされた圧倒的物量の断片が帰納的に意味を為すとも思えぬが、であれば尚、孤峰に立つ峻厳を思わせる。(cinemascape)