男の痰壺

映画の感想中心です

ドッグマン

★★★ 2019年9月18日(水) テアトル梅田2

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曇天と泥濘の暗鬱な風景と陰惨な物語。
ってのは大好きなんですが、これは余りに単線構造すぎて激しく物足りなかった。
言わば、窮鼠猫を咬むの物語で、それ以上でも以下でもない。
 
冒頭、獰猛な大型犬の体を洗ってやる主人公のシーンから始まるのだが、この犬がほんとうに近寄りたくない剣呑な様子で人なんて一瞬にしてぐちゃぐちゃに噛み殺しそうな感じでインパクト大です。
であるから、必ず物語りに関与してくんだろうと思ってたら、その後出てこない。
 
この映画、そういった多くの枝葉のエピソードや描写が大層に魅力的なのだが、ほとんど物語に関与しない。それはそれでありとは思うんですが、一方で本筋のクソ男のキャラが強烈に映画を支配するので拮抗しないのだ。魅力的な細部が置いてけぼりを食っている。
 
主人公の設定は気が利いている。
クソ男に支配されて悪事に加担するのであるが、ちゃっかり分け前を要求したり、コカインの売人から出禁食らってるクソに変わって調達役させられてるが、自分も楽しむ。
きわめて好感度の低い非映画的にリアルな小市民の姿。
ただ、それでも譲れない一線ってのがあって、それは娘への愛と犬大好き性分。
篇中、不在の資産家宅に空き巣入るクソに加担させられるエピソードで、運転手役を命じられた男が戻ってきた連中の話を聞く。
「あのチワワ、キャンキャンくそうるさいんで冷蔵庫のフリーザーに放り込んでやったぜ、ギャハハ!」
男は悪事に加担してることより、チワワが気になって仕方ない。ものごとの判断基準がずれているのだが、それでも、彼が引き返して家に忍び込み冷凍室からカチカチになったチワワを取り出して必死に蘇生させるくだりは、この映画でもっとも感動的だ。
 
幼い娘とクソ男の老母以外は女性がほとんど出てこない映画でもある。
別かれた妻は1シーン遠景で映るだけで、あとはストリップバーみたいなところで商売女らしいのが若干。きわめてホモソーシャルな世界観。
そういった設定も閉塞感を弥増させる。
 
曇天と泥濘の町と小心だが小狡さも持つ非映画的な主人公と環境設定は完璧に近いが、窮鼠猫を咬むの物語に娘思いと犬好き要件が並置されるだけで全く関与しないのでなんじゃいなの単線構造で終わってしまう。も少しでも感情心理の変転に寄り添えばと思うのだ。(cinemascape)