男の痰壺

映画の感想中心です

黄金の腕

★★★★★ 2019年6月23日(日) プラネットスタジオプラス1
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子供のころにTV放映で見た覚えがあるのだが、ほとんど忘れていた。
エルマー・バーンステインの主題曲があまりに有名。
故に、曲だけが残って、映画本篇はたいしたことないんだろうと思っていた。
が、しかし、これは年月に耐えきった傑作であった。
 
ろくな人間が出てこない映画である。
わけても、エリノア・パーカー
この人、「サウンド・オブ・ミュージック」で金持ち大佐の後妻を狙う嫌な女であった。
しかし、この映画の彼女は、その比じゃありません。
こんな女と暮らさないといけないとすりゃあ、せっかく半年も矯正施設で麻薬中毒を抜いたシナトラが再びヤクに手を出しちまうのも納得であります。
しかも、サゲマン女でもあるらしく、シナトラはやることなすことてんで上手くいきません。
ヤク依存は加速する。
何かに逃げないとやってけない心情に納得性がある。
映画は、こういう合理性が大事だとつくづく思うのであった。
 
プレミンジャーの演出も実に要所でケレンが効いてすばらしい。
2度の表情への急速なトラックアップがあるが、使うべきところで使ったという技法が内実とシンクロする快感。
小道具使いも良い。
特に「笛」には痺れました。
 
まあ、そんだけどっぷり浸かったヤク中を一念発起の部屋缶詰で1晩悶え苦しんだらすっきり治ったってのは、さすがにンなアホなと思うのだが。
後日そのことを言うと、「そんなん1晩なわけないやろ。何日間もを短縮してるんや。それが映画や」
と言われたが、正直そうは見えなかったっす。
でも、そんなこと些細な映画の便法やと思えるくらいに傑作でありました。
 
見事なまでにロクな連中が出てこないなか頂点に居座るエレノア・パーカーが物語の合理性を担保する。出てきてすぐヤクに手を出す居たたまれなさをトラックアップのケレンが倍加する演出の冴え。笛の反復寸止めがクライマックスを決定付けるダイナミズム。(cinemascape)