★★★ 2019年12月29日(日) MOVIXあまがさき11
いったいどんなもんになるんやろと期待と不安が半々であったが、まあ予想通りというか、でもやっぱそんなもんかよって感じだった。
故渥美清の映像をどう処理して新たな撮影分と組みあわせるのかという点だが、ハリウッドの最高技術なみのCGで現在形の役者と画面内で合成されるなんてことはやはりなかった。
記憶の映像として過去作品のシーンが挿入されるという、まったく何の変哲もないもので、まあ、山田洋次にそんなこと期待するほうが間違っておりました。
たぶん、全体の尺の1/3くらいが過去作品からの引用で、ずいぶんと安上がりすみましたなあってなもんです。
シリーズ終盤の渥美の病状悪化で苦肉で創作された満男と泉の恋愛話を俺はまったく買っていないのであったが、結局はそれを柱として立てるしかない。
相変わらずのはっきり意思表示しない満男のイジイジぶりに又もや付き合わされるんかいなってことで気が滅入る。
恋愛に関しては、寅も正念場では逃げちまう男であったが、彼は一方でバカで見栄っ張りであったので笑いに粉飾された。しかし、満男は伯父とは違ってそんなにバカではないので不甲斐なさばかりが際立つのである。
ああ、こんなとき伯父さんがいてくれたら…とか言っても、いたってどうにもならないことくらいわかってるやんけ。
確かに過去作品の挿入は若干はウルっとくる。特に初期の作品ではみんな若くて年月の重みも感じさせる。
でも、それに拮抗する現在形のドラマが確立されていないと如何にも片手落ちだ。
そういう意味で、新しく投入された池脇千鶴は、いかにも山田好みの女優だし、ゴクミ復帰を見送っても彼女と吉岡で話を立ててほしかった。
歴代マドンナから浅丘ルリ子と夏木マリが登用されている、衆目の一致する重要キャラのリリーと泉の母親役である夏木だから必然であったのだろうが、明暗を分けたんじゃなかろうか。寅との男女の関係を匂わせるリリーの述懐は山田の覚悟が生半可だった。一方で夏木は過去作を振り切った現在形で躍動していた。
相変わらずの満男&泉の沸切らぬ関係が描かれるなか、連関希薄のまま寅は過去作のアンソロジーとして登場するだけ。所詮は成就せぬ恋の成り行きにシリーズの落とし前をつける気迫は窺えない。笑顔を交わす寅と現在の満男の対峙こそ終焉に相応しいはずだった。(cinemascape)