★★★ 2024年2月11日(日) 大阪ステーションシティシネマ6
冒頭、フィルムで撮影された一幕があり、おお、爺さんやっぱフィルムに拘ってるんや、昔と同じ感触のエリセ映画が蘇ってるわと思ったんですが、それは映画中映画の1幕であることがわかり、以降の現在時制はデジタルだった。
その映画の主演男優は撮影中に失踪して映画も完成を見ることがなかった。テレビ局がその事を掘り起こしてドキュメントを撮るってんで、監督だった男が担ぎ出される。で、取材を拒否してる俳優の娘(お婆ちゃんになったアナ・トレント)に会ったり、編集者だった昔のポン友に会ったりするんですが、俳優の行方・生死はわからないままドキュメンタリーは完成する。
【以下ネタバレです】
で、結論から言うと俳優は養護施設でみつかり記憶を失ってたんですが、なんで失踪したのかわかりません。まあ、なんかの事故で記憶を失ったから失踪したんでしょう、多分。チャンチャンお終い。
まあ、そのへん、エリセもどうでもよかったんでしょうね。これは、元監督に仮託したエリセ自身の現在と追憶の中の映画に関する映画であり、きつい言い方すると老人の自慰行為、或いは遺言かもしれない。
3時間近い映画だが、それでも退屈はしなかった。元監督が1人引退生活をしてる海辺の廃屋。となりにヒッピーみたいな若夫婦が住んでいる。ある晩、3人で飲んでいて彼は手すさびにギターをひいて歌う。「ライフルと愛馬」。映画「リオ・ブラボー」の中でディーン・マーティンが歌う曲です。エリセは子供の頃、西部劇が大好きでフォードやホークスばかり見てたそうですから。
こういうシークェンスがあと幾つかあればなと思いました。それに比べるとクライマックスは形骸的に思えた。
俳優の失踪とその捜索にさして劇的妙味があるわけでもない。これはそれに託けたエリセの表舞台を去って後の生き様と現在の心象で謂わば年寄りの繰り言。であるが追憶の中の映画というのはそれでも切なく愛おしい。「ライフルと愛馬」の歌唱は胸打たれる。(cinemascape)