★★★★ 2025年8月22日(金) シネヌーヴォ

改めて幕末から日清・日露戦争を経て大陸への侵攻に至る頃の日本国民のメンタリティはどうやったのかが同時代的に描かれていて興味深い。日清戦争で勝利してイケイケの日本国民は露・独・仏の三国干渉で戦利品の遼東半島を返せ言われて、何抜かしとんねん,ボケ、カス、アホンダラー。そう言うムードは日露戦争、満州・支那事変の勝利・成功を経て、真珠湾攻撃の我レ奇襲ニ成功セリの頂点へ向かって膨張・肥大化していく。そのマスヒステリーが拡大する危うさは、現在の日本や世界の救われない状況をまんま見てるようだ。
そういう言わば国と国民が熱病に冒され、戦地に行って死ぬのも已むなし寧ろ冥利に尽きるとされるなか、幼い頃は弱虫で泣き虫だった長男が一端の男になって召集される。母は見送りなんかしなくていいと気丈に家に留まるが、いざ軍靴の音が遠くに聞こえてくると已むに止まれず走り出さずにいられない。この終局の長いシークェンスはイタリアン・ネオリアリズモの何作かが達成した時代の切迫の切り取りに比肩し得るだろう。
見終わって、それと同等に心に留まって思い起こされるのは、前夜、一家での送別のささやかな宴。その肩叩きの長い1ショット。そして、1人台所で放心する田中絹代のこれ又長い1ショット。兵役に就く息子より残された母親にフォーカスする木下恵介の本分。陸軍当局から睨まれ松竹に辞表を叩きつけたのは作家としての意地であったのだろう。