男の痰壺

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巴里のアメリカ人

★★★★ 2022年2月26日(土) シネリーブル梅田2

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子どもの頃にテレビで放映されてるのを見て退屈した覚えがあるのだが、さすがに今回はそれはなかった。

ガーシュインの楽曲はメロディアスではあるがビートが効いてるわけじゃないので趣味でもないし、モダンバレエを基調とした舞踏も同様で、かつて退屈を感じた2大要因と思われる。

 

今回、冒頭のジーン・ケリーの鮮やかな部屋での段取り芝居に目を奪われて以降、前半が特に楽しかった。それは、ピアニストのオスカー・レヴァントと歌手のジョルジュ・ゲタリという秀でた才能がジーン・ケリーとがっぷり組み合わさった妙味で、3人がカフェで客たちを巻き込んで歌うナンバーが最高。

一方で、ケリーと新人レスリー・キャロンの2人に絞られていく中盤以降は、キャロンの生硬さもありどっちかというと凡庸だと思う。クライマックスの18分間のナンバーも意欲が結果に結びついてない感じだ。

 

恋愛劇としての描き込み不足も勿体ない。当初キャロンはケリーのことをガン無視状態で、そこを押して押して押しまくりの一手で男が攻めるのだが、彼女の中のフィアンセとの天秤は何を契機にケリーに傾いたのかがどうにも曖昧である。彼女の揺れ動く女心の機微が描けてない。何となくお約束ごとでそうなったで済ました印象だ。

 

俺はふと学生時代に、ある奴が実しやかに言っていた箴言を思い出す。

「女ってのはな、押して押して、そして退く、これ大事な!」

まあ、俺を含めたいていの奴は押して押して押しまくり自爆するのが常であった。

関係ないけど、そんなことがふと思い出されました。

 

ケリーの鮮やかな部屋での段取り芝居からカフェでのレヴァント・ゲタリとの競演まで序盤は異業種交流の華やぎ。だが押して押しまくりのラブアタックが成就する過程はキャロンの心の揺らぎが描写不足。18分のダンスでそれが補えたかは疑問。(cinemascape)

 

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