男の痰壺

映画の感想中心です

ぽくが生きてる、ふたつの世界

★★★★★  2024年10月3日(水) 大阪ステーションシティシネマ

今年の下半期はこれやっていう映画がないよな、あゝこのままでは年間ベストは「悪は存在しない」になってまうやないかい、なんかムカつく、いややー、誰でもえーからバシッとしたもん出したらんかい、とのここ最近の俺の嘆きをこの映画が爽やかに吹き飛ばしてくれました。呉美保さんありがと〜。

とまあ、しょーもないこと書いてますが。

 

母と息子の話なのだが、終盤で人目を憚りながら嗚咽してしまった。何も悲劇的なことが映画の中で起こるわけでもないし、殊更に扇情的な何かが仕掛けられるわけでもない。ていうか、本作では劇伴は一切使われていないのだ。この選択も清々しいまでに透徹された想いの顕れに思える。

 

嗚咽してしまったのは、何も俺自身の母親を思ってのことではない。映画の構成が秀でてるのだと思う。親父がくも膜下出血で倒れ、爺さんがあの世に逝った。東京に出ていた息子は帰省した折に母親に言う。「俺、帰ってこようか」母は何言ってんのと取り合わない。そこまで、映画は息子の母親への反撥ばかり描いてきていたから、ちょっとは親思う気持ちもあるんや、とその程度には思わせる。

 

突然、鮮烈なイメージが現れる。それは、自分が上京するとき駅に見送りに来た母親が帰っていく後ろ姿。列車が去った後のイメージだから息子がその姿を現実に見たわけではない。そのあと幾つかの過去シーンがモンタージュされる。そこでは息子も母も楽しそう。決してリアルタイムでは楽しくも幸せでもなかった記憶は浄化されて心の中に刻印されていくんだろう。それこそ「なんでもないようなことが、幸せだったと思う」である。俺も焼きが回ったのかもしれない。

 

聾唖の両親に育てられた息子の話である、その大変さ、苦労、或いはそのことがもたらす不利益も含めて十全に描かれているが、にもかかわらず見るものに訴求して来るのは、そういうことを度外視した普遍的な親子のあり方であるところが頭抜けているのだと思う。

 

両親を演った2人は実際の聾唖の役者だそうで、素晴らしいのだが、特に忍足亜希子には演技賞を獲ってほしい。ポリコレ絡みの授与に懐疑的な俺でもそう思わせる。特に病院での安堵の号泣は彼女にしか演れない演技だと思います。

 

幼い頃お袋と茶店に入ってパフェを食べたこと。パチンコ屋でばったり親父と会い帰り道お袋との若い頃の話を聞いたこと。流れる日々の中そんな些細な出来事は心の何処かに仕舞われてるけど何かの拍子に鮮烈な郷愁として蘇る。そのイメージ喚起が余りに鮮やか。(cinemascape)

 

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