男の痰壺

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寝ても覚めても

★★★★ 2018年10月14日(日) シネマート心斎橋
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別れた相手をいつまでもイジイジ未練たらしく想い続けるってのは、世間では男の方だって言われてる。
本当かどうか知らないが…。
 
忽然と人がいなくなるってモチーフは、映画ではよくあるのである。
それが、心底怖いことだからだろう。
子供が消えるってのが最もたるもので、今年公開作では「ラブレス」ってのがあった。
本作では恋人で、となればアントニオーニ「情事」あたりだろうか。
で、そいつが再び現れるのだが、その間、外国へ行っていたとか、帰国してモデルとして成功したとか。
そういうネタばらしする点で少なからず面白さが減衰するのを感じた。
 
一方、男が消えたあとで、瓜二つの男が現れる。
映画は、そこを正念場と思ってるようであるのだが、前彼不在の間の挿話が徒に魅力的なのだ。
男の同僚と女の友人が絡んで演劇ネタで逸脱ともいえる走り方を見せる。
そこに地震をもってきて揺れる女心を引き戻すあたり巧い。
 
元彼が生きていて成功してることをひょんなことから知った彼女は揺れるのだが、揺れた挙句の今彼への心理的相克がそれほど描かれない。
 
結局、彼女は一旦は元彼と逃げ、車で夜明かししたのち、元彼に別れを告げる。
その心理は深淵なものには見えない。
衝動で動いたものの、よくよく考えてみれば…ってことなんだろう。
まあ、陳腐とも言える。
ありがちである。
 
否定的なことばかり書いてるが、この映画の描写の魅力は実に豊富だ。
特にレストランでの邂逅シーンは、やはり凄みがある。
 
東出は元彼の不可思議は得意中の得意だろう。むしろ今彼の普通さをよく演じきったと思う。
唐田えりかは、まさにタイプキャストがはまった感じで、彼女なくして、この映画は成立しなかった。
 
失踪とドッペルゲンガーの合わせ技は徒にリアリズムを混入して境界を突破し損ねた感があるのだが混入物が思わぬ自走をみせる。演劇ネタでの逸脱は地震という掟破りの荒業を馴染ませ淀みがない。描写のコクは随所で見られ別けてもレストランでの邂逅は戦慄的。(cinemascape)