男の痰壺

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ヴァレリアン 千の惑星の救世主

★★★★ 2018年4月7日(土) 大阪ステーションシティシネマ
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俺はリュック・ベッソンの「愛」に対する価値基準には余りに能天気で全く同意するわけではない。
しかし、彼の子供脳による宇宙人のイメージには目を見開かされる。
例えば「スター・ウォーズ」に出てくる星人は所詮、大人が子供ぶって創造した胡散臭さがある。
しかし、ベッソンの映画に出てくる星人はまるっぽ子供が創造したみたい。
理知のかけらもない。
だから、素晴らしい。
 
しかし、この映画のクライマックスで彼は珍しく理知的なテーゼを投げかける。
論理的に規律にのっとり仕事を進めようとする男。
規律に反しても感情に沿った行動を優先する女。
2人は恋人で、やがて夫婦になる予定。
となれば、仕方ありません。
女に従わざるをえない。
そういうことを、ちゃんと当たり前に言える映画は信頼に値する。
ベッソンも随分、地に足がついてきたんですなあ。
 
フィフス・エレメント」ではクリス・タッカーを飛び道具として使い成功させた。
本作ではリアーナが、それを担い、やはり成功している。
本筋から逸脱しても尚、そのプロットが価値があると思わせるタレントがある。
 
主役の2人も、ころ合いに疲弊の影が差し込む寸前の腐りかけ感。
ジャストフィットだった。
 
数多登場する星人が子供ぶった大人が創意する胡散臭さでなく天晴なまでの低能感に充ちてる点で優れてベッソン的なのだが、仕事と愛の天秤が嬶天下な世知辛い人生観に従属する点で随分と地に足がついたと思わされる。脱線のリアーナもいい薬味だった。(cinemascape)