男の痰壺

映画の感想中心です

あなたの微笑み

★★★ 12月12日(月) シネヌーヴォ

場当たりの出たとこ勝負であることは何かの僥倖に恵まれるか神の差配でもない限り自堕落な結果しか残さない。そういうことを思った。天才と呼ばれる一部の匠たちは往々にしてその僥倖や神の差配を呼び寄せるんだろう。リム・カーワイは天才か?どやろか、俺にはわかりません。

 

映画が撮れないという前に何を撮るかが見出せない映画監督の話だった筈である。これをオフビートな「81/2」として突き詰めていくならそれはそれで面白くなりそう。少なくとも冒頭の栃木から沖縄まではそう思わせる。

しかし、創作に煩悶する映画監督の話は別府に行ったあたりから、いつのまにやら自作を映画館にかけてもらう交渉行脚にすり替わってしまう。

これが、何かの心情変化とか強烈な外部要因による動機づけが描かれてるならともかく、脚本なしで撮りすすめるうちに、そっちの方が話が転がるからそうした感が濃厚。最後にはとうとう渡辺監督の存在さえも掻き消える。

 

映画館で映画を見るということの意味がますます希薄化してる現在の中で老齢の館主が微かな熾火を見守るかの如くに消えゆく地方の映画館。そのことをフィーチャーすることを否定はしないが意味があるかどうかは疑問だ。必要なのは映画を取り巻く環境をどう変えていくかの筈なのだ。そういう意味で、島根のミニシアターのホン・サンスやケリー・ライカートとかを地元の爺ちゃん婆ちゃんに見てもらうという取り組みは少なくとも未来志向ではあると思った。

 

「1枚1500円、2回券なら2500円、3回券だとなんと3000円」のワンフレーズで自作映画を拡販して歩く世界のワタナベのトホホ感は愛おしい。寡聞にして見てませんが渡辺紘文の映画を見てみたいとは思わせてくれます。

 

映画を撮る産みの苦しみは何時しか放逐され田舎の映画館行脚にすり替わる。出たと勝負の逸脱はアナーキズムに開放されることなく鎮魂歌に閉塞されてしまう。そんなものが見たいのではなく戦闘的な何かをこそ。オフビートな『81/2』を突き詰めて欲しかった。(cinemascape)

 

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