男の痰壺

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ラブレス

★★★★★ 2018年4月7日(土) 梅田ブルク7シアター7
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子供が失踪するというモチーフ。
桐野夏生の小説「柔らかい頬」や韓国映画シークレット・サンシャイン」を想起する。
しかし、それらのように形而上的な世界観に突入するわけではない。
あくまで、リアリティに立脚した展開は、ひたすらに人間のダークサイドを描く。
 
何をどうしたって充たされないと思い続ける人間は、何をどうしたって永遠に充たされない。
充たされたい乞食みたいなもんで、そんな乞食を親に持った子供こそ悲惨である。
 
夫婦喧嘩のあと子供をどっちも引き取らないという擦り合いのあと、妻がトイレに入る。
そして、ドアを叩きしめて出ていくのだが、そこにいた少年。
嗚咽する彼を見つめる冷徹なショットは衝撃だ。
 
前作「裁かれるは善人のみ」でもそうだったが、スビャギンツェフは決定的にロケーション選定が秀でる。
今回も森の中の廃屋が完璧。
一見、捜索ボランティアへの尺の費やし方は逸脱しているようだが、孤独と絶望を弥増させるのに必要充分であった。
 
足るを知らぬ愛情乞食は自らのみならず他者をも不幸にする。そんな世界では樹々や川は飽くまで薄ら寒く在り続け、ボランティアは無機的で感情交差の余地は無い。夫婦の諍いの後、唯一激情が炸裂する子どもの噛み殺した慟哭ショットは虫の観察フィルムのよう。(cinemascape)