★★★★ 2022年9月22日(木) シネリーブル梅田4
冒頭からミスリードの仕掛けが施されるのだが、この耐えがたいまでの喪失を描く映画で、それが必要であったのかの疑問を中盤あたりで感じたりもした。
しかし、展開は現在と過去、主観と客観、現実と妄想がタペストリーのように織りなされていて、冒頭の仕掛けはその1部分に過ぎないことがわかるのであった。
【以下ネタバレです】
すやすや寝ている夫、娘、息子を置いて家を出て車を飛ばして何処かに行ってしまう。それは、彼らがもう永久にいない世界を受け入れないといけない彼女なりの置換された足掻きであった。
覚束ないピアノ演奏しか出来なかった娘が、いつのまにか超絶技巧で演奏する。彼女の世界で娘と見ず知らずのピアノ少女はシンクロする。
赤の他人の男に話しかけて、その胸に頬を寄せる。彼女は亡き夫の温もりの記憶を慈しんでいる。
そういった奇矯に見える行為の理由は後からじわじわくる。多分、2度見たら更に胸にこたえる映画なんやろな思う。
ジャンルは違うけど「シックス・センス」や「ファイト・クラブ」なんかの転倒する世界が想起されるわけだが、本作は仕掛けそのものに意味があるような映画ではない。マチュー・アルマリックは、俺なんかと違ってそれらの作品は念頭にはなかったと思います。
耐え難い喪失を描くに現在と過去・主観と客観・現実と妄想がタペストリーのように織りなされていく。冒頭からの仕掛けは現実を受け入れなくばならない置換された彼女なりの足掻きだった。世界の転倒に意味があるわけでない。それは生きていく為の必然なのだ。(cinemascape)