男の痰壺

映画の感想中心です

女の歴史

★★★★★ 2025年6月7日(土) シネヌーヴォ

戦前・戦中・戦後を生き抜いた女の生き様であるが、よくある何かを成し遂げる為に、男を踏み台にしたとか、女を武器にしたとか、そういうのが無いのが素晴らしい。

主人公の高峰秀子の周りには、例えば戦後のドサクサで闇商売で派手に儲けている女がいたりするが、あの人すごいわとリスペクトするものの、そういうのは自分の柄じゃないと割り切ってるし、夫が戦死してその友人から告られその気になりかけるが、そいつは仕事でポカやってトンズラしてしまう。落胆するけど、日々の生活に追われてやがて忘れる。小説やドラマの主人公のような劇的な生き様でなくても、普通の人々が懸命に生きてく軌跡は充分にドラマなのだ。

 

嫁と姑の話でもある。嫁だった自分はいつしか歳経て姑になる。男たちは死んだりいんだりして皆いなくなる。血縁関係の本来ない3代の女たちが嫁姑の関係で繋がり図太く生き抜いていく。それは、男だったら1000%あり得ない構図なのだ。男は女に敵わない。成瀬もきっとそう思って映画を作っていたに違いない。

 

受け身で殊更にドラマラスな生き様でなくとも「女」の「生涯」は遍く畏敬に足ると言う成瀬の慄きが滲み出る。男達は死んだり消えたりしゆくなか嫁姑の3代史が完成される。それが即ち日本の「歴史」そのものなのだということ。侮り難い巨視的クロニクル。

 

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