男の痰壺

映画の感想中心です

たちあがる女

★★ 2019年3月16日(土) シネリーブル梅田1
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それは、どこのどいつのせいでそうなってるのか。彼女の大切な何が失われつつあるのか。

そういった「行為」との因果関係がまったく示されないままなので何一つ心を揺さぶられない。

正直、不愉快であった。

そもそも、俺は、環境テロってのは独善だと思ってるので尚更。

 
生活に困ってない(らしい)彼女は、コーラスサークルみたいなとこでの指導を生業としてるようだが、そういった安全地帯にいて、裏でテロを行う。
ウクライナの孤児の里親になりたいと思っている。
そういった彼女の脳内イメージで醸成された願望はリアルの裏打ちがない虚妄だ。
 
アイスランドの苔しか生育してないような荒涼な大地に走る送電線を切る。
そういう「画」は一見絵画的。
彼女を追う当局がヘリやドローンを使って捜索する。
ハリウッドライクに崖下から現れるヘリの映像は迎合的ですらある。
作家性とは対極のものに見える。
 
終盤で双子の姉の、これまた独善的な姉妹愛のおかげでウクライナに逃亡した彼女。
洪水で浸水した村々の惨状。
彼女は、ここで生きていくしかない。
それから先を描いてこそ、映画は何かを描きえるのではなかったのか。
…と思うのである。
 
彼女の心の痛みが晒されることなく繰り返されるテロは単なる自己中な勘違い女の妄動にしか見えぬなかで投入される鼓舞するバンドやヘリとドローンといった映画的意匠のあざとさ。描くべきは難民少女を里子に迎え洪水の地で泥に塗れてからのことだと思うのだ。(cinemascape)