男の痰壺

映画の感想中心です

おもひでのしずく (2003年2月2日)

※おもいでのしずく:以前書いたYahoo日記の再掲載です。

 浅田次郎

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先週、「壬生義士伝」という映画を見た。
実は原作者の浅田次郎のことを俺は秘かに心の師と思ってた時期があったのである。
94年か95年頃であったが、丸1年競馬場へ通った時期があり(と言っても仁川か淀で開催されるときの土曜日→何故土曜日かと言うと土曜でオケラになるから日曜は行けなかったのである)、競馬の虫と化したことがあったのだ。
死ぬほど経済的に困窮を極めて、だから、何かの活路が欲しかったのだと思う。しかし、そこには活路は無く、更なる「苦」が待ち受けているだけであった。
そんな、或る日、本屋でたまたま手に取った「競馬の達人」という本があった。帯には「俺は競馬で喰ってるぞ~闇の馬券師がバラした仰天必勝法」と書いてあった。著者近影の写真はサングラスをかけた、どっからどう見てもその筋の人にしか見えなかった。どうせまがいもんだろうと思ったが、少し読んで即買った。何故なら単純に滅法面白かったからだ。文章が巧く、散りばめたユーモアが粋だった。そして、何より、生活者のリアルがあり、星の数ほどある数多の指南書とは違い論法に納得性があった。買って帰った日に一気に読み通し、そして、翌日から、赤ペンでマーキングしながら再読して頭に叩きこんで週末、淀に向かったのだ…。
900万を2レースと1500万を1レースの3レースを連覇し29万の利益を叩き出した。その日、俺は「これで喰って行ける」と確信した。その確信は、翌日の第1レースの新馬戦で1本かぶりのド本命に単勝で20万をブチこんで負けても、そして、その後半年負け続けても消えなかったし、「浅田次郎」の名は相変わらず神であった。しかし、やがて転勤で大阪を離れ、馬券とも遠ざかる。
96年の或る日、喫茶店で読んだ週刊誌の書評欄で激賞される「蒼穹の昴」の著者名として「浅田次郎」の名を発見する。そして、翌97年には「鉄道員」で直木賞を受賞し時代の寵児となっていくのである。
今、かつての神の処女作「競馬の達人」は本棚の隅で埃をかぶっている。だが一方で、俺は浅田次郎原作の映画を見に行って涙を流す。