★★★★★ 2020年5月30日(土) 大阪ステーションシティシネ10
今更のグザヴィエ・ドラン初見で、何も避けてたわけでもないんだけど巡り合わせであろう。一度「たかが世界の終わり」を観に行ったことがあったが満員で入れなかった。
これが彼のフィルモグラフィ中どの程度の位置付けか知らんが、傑作じゃないかと思いました。
発達障害の思春期の息子とシングルマザーのあれやこれやと聞けばしんどそうな話であるが、話の比重は母親にあるし、更に言えば、隣家に越してきた一家の主婦と彼女の交流が大きな配分を占める。
言語障害に陥って教職を休業中の引越してきた主婦の造形が良く、彼女は隣家の発達障害の息子に勉強を教えることで自己回復をしていく。
女2人が、互いを希求しながら一種の擬似共同体を形成していくのが、「テルマ&ルイーズ」みたいだし、微妙な心理の隙間を十二分に抽出しながらスパイラルなドラマトゥルギーの熟成を呼び込むあたりの語り口はカサヴェテスを思わせる。
映画は怒涛のような理想郷を現出させたのちに、あまりに厳しい現実を提示する。重ねるように女2人の別離が到来するのだが、堪えきれない嗚咽が染み入ってくる。
納得し得る現実認識だしシュアな選択だと思う。
アスペクト比1:1の必然は感じられなかったのだが、殊更不都合でもなかった。
病んでスポイルされた3人が欠落を埋めるように寄り添い見果てぬ夢を育んでいく。しかし、束の間の幸福は見ぬふりで過ごしてきた現実に一瞬で粉砕されるのだ。それでも儚い走馬灯のような何かに縋り嗚咽を呑んで人は生きていく。みんなそうやって生きていく。(cinemascape)