男の痰壺

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子供はわかってあげない

★★★★ 2021年9月6日(月) テアトル梅田1

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何が良いって萌歌ちゃんの伸び伸びした肢体が心ゆくまで健康に躍動する様が本当に良く、もし俺にこんな年頃の娘がいたとして、このような作品に巡り会えたなら、天を仰ぎ悶絶しながら幸せを噛み締めるだろう。

校舎の入り口から廊下を走り階段を駆け上がって屋上まで一気に行くのを追いかける長回しのショットが2回あるが、そりゃ萌歌ちゃんみたいな素材を得た日にゃあ誰だってそういうことしたくなりまさあ。必然を感じます。

 

映画の構造は古来より伝わる伝統的ジュブナイルの典型。赤川次郎原作の角川映画みたいなもんだ。少女の父親探し=自分探しの旅路にクラスメイトの少年が協力して、少女は何かを見つけてひとまわり成長し、少年ともときめきのサマータイム。あー勝手にやって下さい、と言いたいとこだが。

 

トヨエツが「いとみち」に続いての女子高生の父親役だが、切れのある前者に対して今回は茫洋とした捉え所の無さを表現し、やっぱ巧いです。互いを探り合う親娘が初めてちゃんと語り合う浜辺の長い望遠の1ショットが良い。その撮り方を選択した演出も冴えていると思います。

 

娘は実の父親に邂逅して何かを得て変わったか?それは多分何も変わっていない。しかし、心の奥にあったわだかまりのようなものはきれいに氷解したのだろう。

となれば、年頃の娘がすべきことは目の前のクラスメイトの彼氏に思いのたけをぶつけること。このクライマックスは枯れつつあるおじさんの心も揺り動かす。思わず俺は映画館の席で立ち上がり「頑張れ〜」と弱々しくも応援のエールをスクリーンにぶつけるのであった(実際にはしてません)。

久々にストーンと落ちる良い締めくくりだった。

 

女子高生の父親探し=自分探しの旅路という紛れもない角川的ジュブナイル復刻だが、80年代の闇や屈託は放逐されて素直に突き抜けている。萌歌の伸びやかな肢体の躍動が底浅の疑義を粉砕しクライマックスでは頬の紅潮に全ての親父はエールを送るだろう。(cinemascape)

 

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