男の痰壺

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佐々木、イン、マイマイン

★★★★★ 2020年11月28日(土) 大阪ステーションシティシネマ

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今年も残すところあと1ヶ月となったわけだが、多分、これが俺の日本映画ベストになりそう。

相変わらず四宮の空気の肌触りまで感じさせる撮影が絶品ということもあるが、語らねばこの先生きていく上での帳尻がつかないという作り手の切実な思いが、怜悧な画面の間隙から膿汁のように滲み出し、それが後半にかけて濁流のように見るものを押し流す。

 

役者を志したが、うまくいかなくって、しがないバイト生活。女にもふられ、なのに同居を続けるケジメのなさ。そんな野郎の再生噺。

って言うと何万回繰り返されてきた物語であるが、この映画が構成的に傑出してるのは、主人公周りで折に触れ話に出てくる佐々木なる同級生が、回想の中の客体な風景の位置から、後半になって主体に変容するところだ。

 

佐々木ってどんな野郎だの期待がたかまるなか、高校時代の彼のバカ陽気がどうにも可笑しくなくて、なんだかなーの無理筋ちゃうんかの疑問が。しかし、大人になってからの彼は、演じる道化の衣を脱いで哀愁を纏う。俺は演じる細川岳の顔が渥美清とダブって仕方なかった。実際、ちょっと似てるんです。

 

終盤、主人公の同級生が絶対ムリやんのかつての憧れマドンナと所帯もって子どもも産まれている。その子を抱いて、俺なにやっとるんやの不甲斐なさに嗚咽する。少し間延びして必ずしも成功してるシーンとは言い難いが、それでも、ほんとうにそこに身を置いた者にしか書けないリアルがある。

 

飲み明かし喧嘩した帰りの街並み、歌い明かしたカラオケ屋の駐車場と2度にわたり夜明けの曙光に包まれた別れの場があるが、冒頭に書いた通り本作でも傑出したシーンとなっている。

特に、後者では何ひとつ人生で良いことなかった佐々木を慈しむかのように温かい。

ナンパに応じた苗村(河合優実)は、佐々木にとってもだが、全ての男たちのミューズになった。嘘っぱちに終わるようなキャラを実存の世界に引き寄せてくれた。

 

祝祭的なラストも、徒に鎮魂に沈むよりこの物語にふさわしい。

 

上手くいかぬ人生に立ち向かう気力も失せかけたとき、彼奴が送った短い日々に思いを馳せ自戒する。ありがち展開だが日常のリアルと立ち現れるパッションが空気を鷲掴むようなカメラも相俟り珠玉のように凝縮される。だからあり得ぬ女性の実存も信じれるのだ。(cinemascape)

 

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