男の痰壺

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浮草

★★★★★ 2018年10月28日(日) シネヌーヴォ
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聞きしに勝る傑作である。
 
舞台袖から良人の愛人である杉村春子を見る京マチ子の眼光。
もともと目力の女優ではあるが、凄みがそんじょそこらではないのだ。
ワンショットにかける気合の熱量が、やっぱ小津はケタ違いなんだと思わせる。
このストーリーを、例えばこの時期の吉村とか三隅とかが撮ったって、ここまでの代物にはならなかったろう。
 
カラー期の小津は2回ホームグランドの松竹を離れて他社で映画を撮っている。
大映で撮った本作と東宝で撮った「小早川家の秋」で、どちらも中村雁治郎を主演ににしている。
その彼が、浮気相手の家に足繁く通うのも同じだ。
だが、「小早川家」が松竹のホームドラマとほぼ相似の展開を見せるのと違い、本作は強烈にドラマチック。
それも小津らしくない。
というか、セルフリメイクなので、初期の小津は枯れ切った後期と違いまだ生々しかったということだろう。
 
「小早川」も東宝中井朝一を撮影に充てて三顧の礼を尽くしたと思われるが、本作の撮影も大映の至宝・宮川一夫であって、これがとんでもない効果を産み出した。
大体に小津の映画の画はフラットに全焦点が合っているのが通例である。
しかし、宮川は微妙に前景をボカす。
照明を落としたかレンズを長焦点にしたかわからないが、これが小津のフィックスの画面のリズミカルな編集と合わさって、立体感を醸してとんでもなくドラマチック。
天才同士のコラボは劇的な効果を産んだといっていいだろう。
 
有名な雨中の愁嘆場をはじめ名シーンは枚挙に暇がないが、俺はシミーズ一丁のおばはんが、小津の正面ローアングルの構図に収まって台詞を喋るのにやられた。
「変態家族 兄貴の嫁さん」へ延伸するコペルニクス的な衝撃であった。
 
舞台袖からのマチ子視線の熱量は小津のワンショットへの入魂を顕すし宮川の遠近を効かせた画が立体的な編集と相俟りパノラミックでさえある。天才同士の一期一会のコラボは理想的な結実となった。シュミーズ賀原夏子バストショットこそ衝撃。(cinemascape)